最近面白いテレビもないなぁとダラダラ番組表をスクロールしていたら、あの番組名が目に入った。
タイトルは「人生は、終わりなき、答え合わせ〜造園職人・小林徹〜」。
自然の中で働く事に興味もあり、造園師の知人もいる事から観てみる事にした。
エクステリア職人小林徹氏、42歳で黄綬褒章受賞した凄い人らしい。
のっけから明るい笑顔と日焼けした顔が印象的。
声もハキハキして力強い。絵に描いた様な仕事出来る人。
炎天下の中でも汗だくで庭を造り、デザインする。
着替えの時にシャツを脱ぐシーンがあった。
かなりの筋肉。スタッフさんから「マッチョですね。」と声を掛けられると、こう答えた。
「職人ですからね、職人がだらしなかったらダメでしょ。」
この言葉で感じた。この人完璧主義の人だと。振り切れちゃってる人だと。
何でも草木と会話をしながら庭を造っていくらしい。
「よく頑張ってるね」「綺麗だね」と言いながら前提や造園を進めていく姿をドキュメンタリーで描いていた。
大正元年から続く造園会社の3代目の父親が造園師であった事もあり高校卒業後そのまま家を継ぐ形で仕事に入る。
小林さんは仕事熱心。向上心もあり、メキメキ力をつけていった。
ただ、父親の仕事仲間から「良い後継が出来てよかったね。」「良い職人に育ったね。」と言われる事が物凄く嫌だったとの事。
努力をしている自分の力を評価しているのではなく、親の七光り的な言われ方が引っ掛かる。
そして独立、最初は仕事がなく悩む日々が続く。電気工事、配管などあらゆる資格を取得し、依頼のある仕事は何でもやった。すると造園以外の仕事にも通ずる知見がある職人がいると評判になり、事業も徐々に軌道に乗る。 しかし、独立から10年経ったある日、信頼していた社員のひとりに会社の重要なデータを全て持ち去られてしまった。 そのショックから会話が出来ない、めまい、さまざまな症状に見舞われ、片っ端から病院を渡り歩いた。 結果、【うつ病】と診断された。
普通ならここで自宅療養に入るだろう。
しかし小林さんは庭が好きだった。草木が大好きだった。気がつくと現場に向かってひたすらに草花を植え、木の剪定をしていた。 その時間が唯一何も考えずに没頭出来る時間であったと小林さんは言う。
その後も投薬しながら仕事を続け、何とか苦境を脱した。 今もまだ薬の服用は続けているとの事。現場で突然涙が出てきて、仕事が出来ない場面も放映されていた。
毎日夜のマラソンは欠かさない。この時、仕事の時とは対照的に今までの事を事細かく思い出すらしい。 歩道橋の階段の前に立ち彼は言う。 「今日この階段を登れたら、明日も仕事を続ける」 毎日自分の過去と闘っている様子が物凄い臨場感で伝わってきた。
2018年に起こった高槻市栄町の市立寿栄小学校のブロック塀倒壊事故で児童一名が亡くなった。
この事件を彼は【私達が引き起こした事故だ】という。
他にもたくさん倒壊の危険がある外壁がある。 自分の手掛けた外構も同じ様な事故を引き起こすかも知れない。その思いから「自分事」として捉えているのだ。
自分が手掛けた仕事は、通る時に必ず見て問題ないか観察し、定期点検ではミリ単位で異常がないか徹底して確認している。
若い後継者達にも、この事故を通して人の命に関わる責任の重い仕事であり、やるべき事をきちんとやらなければいけないと教えている。
最後に恒例のプロフェッショナルとは?の問いに、自分なりのプロフェッショナルの言葉を考えていたらしいが、それは自分だけの力で成功したかの様な傲慢さが自分の中にまだ有るんだと気付かされて情けなくなったとの事で、周りの関係者の方々が一生懸命やってくれているお陰で自分があると周囲の方々への感謝の言葉で締めくくった。
見終わって、何というか、重たさと嫉妬、感動が混じった複雑な感情になった。 私は人生全てを賭けてこれをやる!と言える物がない。 また、人に対する感謝の気持ちも足りない気がする。 通じている部分は完璧主義、頑固、裏を返せば自分自身も人も許せない。 みんな好きな事も仕事も性格も育った家庭環境も違う。そんなに簡単じゃない。
小林さんは仕事が好きだった。好きな物が有って羨ましい。好きではない仕事で病んでしまった人なら誰でもそう思うだろう。
こんな人もいるんだと思いながら誰もがこんなスーパーマンになれるわけではない現実を考えてこの先人生でやるべき事を探し続けていこうと思う。