今を生きよう〜寂しがり屋のひとり好き〜

自身のワークライフ、メンタルヘルス、今までとこれからの英語学習について。

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会社休職します。

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9/14(火)火曜日、とうとう、耐えられなくなった。適応障害再発。

帰りにそのまま病院へ向かう。

17時〜の緊急会議で緊張とプレッシャーがMAXになった。

「いつまでにやれば良いですか?」

その言葉がトドメだった。

何とか希望を伝えてその場は終了したが、尋常じゃない汗と、締め付けられる胸、頭は痛い。

もう無理だと即決した。

私は某大手電機メーカーで生産管理の仕事をしている。

もともとは半導体畑で生産ラインで製造していたが、「ずっと交代勤務で景気の影響が大きい半導体から離れたい」「人生一回なので別の道でキャリアを積みたい」と考えて移動の希望を出したのが5年前。

量産からインデント製品となり、全く別世界に来てしまった。

私が移動して、受け入れの担当の担当の方から「他の事業部からの受け入れは初めてだから」という事で色々お手を煩わせていた。

火力発電機の担当となり、先輩の下で働く事になるが、ここで大きな問題が発生した。

移動時の面接の時には「OJTはしっかりやります!」と言っていたのに。

その先輩Sはたいてい朝すぐにどこかへ消えてしまい、時にはこれを読んどけと分厚い発電機の本を手渡されてまたどこかへ消えてしまう。

 

周りの人に、何をすれば良いですか?と尋ねると「あなたの担当はSさんだから、わたしは知らない」と皆同じ態度。

全く畑が違う事は覚悟していたが、システムの使い方やラインの説明はなく、いわゆる昔堅気の「見て覚えろ!」的な風習が事務仕事でやられていた。

現場では全くわからない専門用語が飛び交い、現場のルールもわからず毎日必死に走り回ったが、ある日心が折れた。

これが一回目。

時短勤務でまずは仕組みがわかりやすいラインから担当していき、何とか復活してきて評価も上がりその後原子力と兼務になった。

カーボンニュートラルで最近火力は埋没。

原子力が主担当となったが、あるプロジェクトでは常に品質異常、納期限トラブルが多発しており、それが私の担当となった。

日々、「ネック工程だ」「そこが改善すれば他は上手く流れるんだ」と言われ、現場との調整に明け暮れた甲斐が有り、何とか一難は乗り越えたが、次に任されたのが大炎上している案件。前任者から引き継いで蓋を開けた時点で「これは、もうあかん…」とすぐに上司に報告。これも何とか乗り切れたが、何を思ったか、会社はこのプロジェクトから人を削減した。

ここから地獄が始まる。

客先との納期調整で1ヶ月先になる予定であったものが1ヶ月前倒しになったのだ。

と言うことは元々予定していた計画より2ヶ月の前倒し…

人はいない。上司は他から一時的に人を借りてくる案を出してくれたが、何も知らない人に一から説明してやってもらう時間もない。

逆に単純作業をスポットで入って助勢してもらう体制を整え、業務開始。

品質異常が多発する中、何とかネック工程までたどり着いたが、今度は味方である設計者、生産技術者がいつまでに何を誰がやるのか?リストにしろなど言い出した。

この辺りからかなりしんどくなっていく。

現場に出て納品された物をすぐに移動し、パッキングを剥がし、すぐに作業して貰う等、物の取り回しを最短しにてバッファを作ったが、全部品質異常の為に食われていく。

多発する品質異常に、設計者も対応しかねるとの事で、優先順位をつけろと言い出す。

後がないギリギリの線から計画を引っ張っているのだ。優先順位などと言っている暇はない事は明白だ。不毛なやりとりを設計者とやりながらイライラが募り、「もうこの仕事は私の手にはおえない!」と上司に申し立てた。グループリーダーに間に入って貰う事となったが、もう心は折れていた。

納期にも無関心、ロボットの様にただこなしていた。

それでも色んな問い合わせがやってくる。

もう疲れてしまった。

緊張性頭痛、抑鬱、気怠さの中何とかあと少しと頑張っていたが、燃え尽きてしまった。